2017年12月16日土曜日

久しぶりの新橋呑み 東京駅前・丸の内仲通りのイルミネーション KITTEのクリスマスツリー 新橋SLの電飾 2017-12-15

12月15日(金)
久しぶりに高校時代の友人と新橋で呑み。

夜の東京は久しぶりなので、広くなった東京駅前、丸の内仲通りのイルミネーション、KITTEのクリスマスツリーを駆け足で見て廻った。

新橋駅前ではSLの電飾されている。
ミーハーついでに撮っておこう。

で、いつもの時代遅れの酒場へ。
(「時代遅れ」はオーナー自身から出た言葉)
余りに久しぶりなので、6時から10時過ぎまで居たかな。













2017年12月14日木曜日

次から次へ新たな火種 サウジ混迷・「首都エルサレム」問題 (酒井啓子 思考のプリズム『朝日新聞』2017-12-13); 他人の屍が累々と埋もれる地面のその上に、何食わぬ顔をして生き続けること、そこに安住の生活ができると考えることの、底知れぬ恐ろしさ。

次から次へ新たな火種 サウジ混迷・「首都エルサレム」問題
(酒井啓子 思考のプリズム『朝日新聞』2017-12-13)

(略)

 さらなる火種は、エルサレムにある。アメリカのトランプ大統領が、イスラエルの首都をエルサレムとし、米大使館も移転すると決定した。

 エルサレムの西半分は、イスラエル建国当時からイスラエル領だが、東半分は1967年の戦争で、イスラエルがアラブ側から奪ったものだ。その後一方的に併合し、「占領」ではないとしているので、返還する意思はない。未来永劫返すつもりのない聖地エルサレムを、首都として国際社会に認めさせるのが、イスラエルの方針だ。

 国際法的には違法である。だがトランプ政権は、それを全面的に支持する。この決定にイスラム世界全体がざわついているが、その1カ月前には、イスラムの二大聖地の守護者を称するサウジアラビアが、イスラエルとつながっているとの情報が流されている。

 サウジとその連合軍が空爆するイエメンでは多くの人が命を失っている。昨日たわいもない世間話をした隣人が、次の日に死体となって横たわる。

 イスラエルが占領したパレスチナの地には、イスラエルが建国される前にこの地に住んでいた人々屍が、埋められている。遺骨が掘り起こされることも、返還されることもなく。

 他人の屍が累々と埋もれる地面のその上に、何食わぬ顔をして生き続けること、そこに安住の生活ができると考えることの、底知れぬ恐ろしさ。

 追い出した、あるいは(国境を閉じて)視界の外に追いやって見えなくした人々が、どのような日常を紡いできたのか、どのような温かい人間関係に包まれて生活してきたのか、顧みることもなくその命の犠牲の上に、平和で安全な生活を心から営めるのか。

(略)
『朝日新聞』2017-12-13


『大航海時代の日本人奴隷 アジア・新大陸・ヨーロッパ』を読む(4) 序章 交差するディアスポラ - 日本人奴隷と改宗ユダヤ人商人の物語(4終)

皇居東御苑 咲き始めた梅 2017-12-13
*
ぺレス没後の日本人奴隷たちの運命
期限付き奉公人から終身奴隷に
異端審問記録にあるルイ・ぺレスの財産目録には4人の奴隷が記録されていた。

(第一)二〇歳の日本人奴隷
(第二)別の二〇歳の日本人奴隷
(第三)別の一九歳の日本人奴隷
(第七一)黒人奴隷パウロ

第一項はガスパール・フェルナンデス、第二項はミゲル・ジェロニモ、第三項はヴェントゥーラのことと考えられる。
ベンガル人パウロ・ハシバエールはリストの最後に記載され、1597年12月1日に、マニラ発のガレオン船でアカプルコに到着したという記録が確認できる。そこには「ネグロ(negro)」と書かれている。本来「黒色」を表すこの言葉は当時、「奴隷」の同義語でもあり、黒褐色のアフリカ人奴隷のみを指すわけではなかった。
朝鮮人ガスパールに関するその後の情報はない。転売されたか、あるいはガレオン船がアメリカへ向けて出発する以前に亡くなったのかもしれない。

日本人奴隷3人は、契約上は期限付きの奉公人であり、本来ならば「奴隷」ではない。にもかかわらず、ぺレスの財産が没収された際、異端審問所の代表者らは彼らの扱いを終身奴隷に変更してしまった。この記載変更行為は、誤りや勘違いによるものではない。正規の契約をなかったことにし、法に定められた手続きさえ反故にし、彼らの身分を曖昧な「奴隷」にしてしまうことで、商人たちは自分たちの利益を得ようと目論んだ。期限付きの奉公人と終身奴隷では、その売却値段もまったく異なったからである。

日本人トメ・パルデス
日本人トメ・パルデスは、1577年、長崎に生まれ、1596年以降メキシコに居住していた。トメは、16世紀末に長崎に居住していた新キリスト教徒のポルトガル人フランシスコ・ロドリゲス・ピントに売却され、最終的にスペイン人船長アントニオ・アルソラに売却された。そして、アントニオに伴い、1596年、アメリカ大陸へ渡っていた。
トメは、ルイ・ぺレスの死後何年も経った後、ルイの息子アントニオ・ロドリゲスをメキシコで見かけた。彼は、長崎にいた頃ペレス一家と親しくしていたので、商人アントニオ・ロドリゲスが、ルイ・ペレスの息子であるとわかった。
その後間もなく、トメは異端審問所判事ドン・アロンソ・デ・ベラルタにアントニオを見かけたことを話した。彼は、長崎でぺレス一家と一緒に住んでいたモザンビーク人奴隷の水夫(甲板コーキング作業員)も目撃者であると伝えた。
トメの告発は、メキシコの異端審問所のみならず、長崎のポルトガル人コミュニティにも衝撃をもたらした。ぺレス一家についてのトメの供述はマニラへ送られた。それはおそらく長崎に転送され、当時の日本司教ドン・ルイス・デ・セルケイラ(滞在期間1598~1614)は、この告発の真偽を確かめるべく、新たな調査に着手した。ぺレス一家と交流のあった日本人キリシタンたちの証言をも含むそれらの調査記録は、ペレス一家の長崎での生活に関する重要な資料となっている。

日本人奴隷の不運を知ったペレスの息子たち
一方、ルイ・ぺレスの息子らはメキシコで日本人のガスパール・フェルナンデスと再会し、ガスパールと残り2人の日本人奴隷の不運を知った。"

1599年
最初に、1599年、ガスパール・フェルナンデスの自由民としての身分が立証された。ルイ・ペレス没後、ガスパール・フェルナンデスは残り2人の奴隷と同様、教会の権威者たちに引き渡された。ガスパールは商人トマス・デル・リオに2年間仕え、身体的にひどい扱いを受けた。ガスパールは、ペレスに仕えた12年と合わせ、14年間、「奉公人」+「奴隷」身分を務めたことになる。

日本人ヴェントゥーラの供述は次のようにある。

この町(メキシコシティ)の収容所に収監される(私たち)日本人ヴェントゥーラとガスパールは、(次のように)証言します。私たちは故ルイ・ぺレスに仕えて、マニラから当地へやって参りました。閣下のご命令により、捕らえられ当異端審問所へ連行され、当異端審問所の財産没収官ビルビエスカ・ロルダン殿に引き渡されました。ロルダン殿は現在この収容所にはおりません。そして閣下のご判決により、私たちはルイ・ペレスのご子息に引き渡されることになりました。ご子息らは現在この地域にはおらず、来ることもありません。そして私たちは自由の身となったにもかかわらず、この収容所に収監され続けています。現在、誰一人として私たちに対して、いかなる権利も有しません。

ルイ・ぺレスの息子たちが証言者となる
つまり、日本人奴隷の解放を求める訴訟の最初の証言者となったのは、ルイ・ペレスの長男アントニオ・ロドリゲス(当時28歳)であった。彼は1594年ないしその翌年からメキシコシティに住み、当時はサンティッシマ・トリニダード地区に居住していた。アントニオ・ロドリゲスは、ガスパールを奉公人として雇う契約の際、弟のマヌエル・フェルナンデスとその場に一緒にいたと証言した。
その証言書によると、ガスパールはまだ子供で、日本人の売人が何の情報も提供することなくペレスに売った。そのような売買において、個人に関するいかなる情報も提供されないのは当時、当たり前のことであった。その後、取引を合法的なものにするために、ペレスは長崎のイエズス会のコレジオへガスパールを連れて行った。コレジオの院長アントニオ・ロペスが少年を検査し、購入証明書に署名をした。その証明書には、ガスパールの奉公期間は12年と記されていた。ルイ・ぺレスがマニラの収容所にいた間に、その証明書は異端審問所に没収された。

2人目の証言者はルイ・ぺレスの次男マヌエル・フェルナンデス(24歳)であった。
フェルナンデスは兄の供述に同意しつつ、ガスパールは日本人の奴隷商人に連れて来られ、その値段は銀で10ないし11ペソであったと述べた。さらに、当時は日本人が他の土地から連れてきたり、掠奪した同胞を、ポルトガル人に売ることは日常茶飯事であった、と付け加えた。ガスパールの契約では、文書の取り交わしは一切なく、後日イエズス会によって証拠書類が作成されたのみであった。その書類には、ガスパールは定められた年数奉公し、その後は自由民となることが簡略に記されていた、と証言した。

法廷ではメキシコ異端審問所附属王室国庫の第一財務代表官ガルシア・デ・カルバハル博士は、ガスパールの解放を承認せず、ルイ・ぺレスの息子らはユダヤ教徒の子孫であり、その供述は信じるに値せず、彼らは異端審問所を欺こうとしていると主張した。

次に、1601年末か1602年初め、ペレス家のもう1人の奉公人、日本人ミゲル・ジェロニモ(24歳)も自分の解放を申し立てた。
彼の主張は、主人であるルイ・ペレスが拘留された後、奴隷ではなく、召使いとしてアカプルコまで渡ったというものであった。その後、メキシコ異端審問所の財産没収官マルティン・デ・ビルビエスカ・ロルダンに引き渡され、彼は、契約に定められた期間よりも2年多く計4年間仕えた。
ミゲルも奴隷身分からの解放を求めたが、訴訟の結果については文献が残っていないため、彼が訴訟の途中で他界したのか、解放されなかったのかは、不明である。解放されていれば、おそらくその証明書類が残っているであろう。次の主人であったマルティン・デ・ビルビエスカ・ロルダンは、メキシコ異端審問所の重要な役職を歴任し、最後は金庫管理官として、異端審問所が没収する財産の管理を一手に引き受けて、強大な権力を掌中に収めた。

1604年6月5日
最終的には、ガスパール・フェルナンデスが王室国庫の財務代表官フアン・ぺレスに対して2回目の訴訟を起こした後、ロルダンがガスパール・フェルナンデスだけでなく、同じ身分でルイ・ペレスに仕えていた奴隷ヴェントゥーラも自由の身にすることを告げた。1604年6月5日、最後の審議で、異端審問所はガスパールとヴェントゥーラを、ルイ・ぺレスの息子たちに引き渡すことを決定した。

しかし、ぺレスの息子たちは異端審問所に、2人の日本人を迎えには現れなかった。ユダヤ教徒としてその場で逮捕され、裁判にかけられるのを恐れたのであろう。
とはいえ、メキシコで奴隷にされた2人の日本人の解放は決定的なものとなった。ペレス家の資金援助と危険を犯しての法廷での証言という協力なくしては、それは不可能であったろう
ガスパール・フェルナンデスとヴェントゥーラの2人の日本人は、故郷から遠く離れたメキシコあるいは他の土地で、自由民として生涯を終えたことであろう。

(序章おわり)






食べ物をいくら残しても叱られない時代はきたが、それは同時に胃袋でない形の新しい飢えの始まりでもあった。(たかとう匡子) (鷲田清一 折々のことば『朝日新聞』2017-12-13); それが今、もういちど反転して貧困が重い足かせになりだしている  

食べ物をいくら残しても叱られない時代はきたが、それは同時に胃袋でない形の新しい飢えの始まりでもあった。
たかとう匡子(まさこ)


 ひもじさには二つの形がある。
一つは窮乏の生活からくる空腹であり、一つは強い不安や鬱屈からくる心のやつれである。
「先進国」といわれる国では、ひもじさ、つまり存在の乏しさは前者から後者へと移行した。
それが今、もういちど反転して貧困が重い足かせになりだしている。
詩人で元国語教師の『私の女性詩人ノートⅡ』から。
鷲田清一 (折々のことば『朝日新聞』2017-12-13)


ウェブスター「2017年を代表する言葉は"feminism"(フェミニズム)」 どうやらトランプ大統領の側近女性ケリーアン・コンウェイが「あたしゃfeministなんかじゃない」と発言して物議をかもし、「フェミニズムってそもそもなんだっけ…」とみんなが辞書をひきにいったのが直接の理由の模様。..... / ME TOOの動きやトランプ政権を揺るがしているセクハラ問題とも絡んでるのかな? / 米アラバマ上院補選、民主党勝利 共和党2議席差でトランプ政権に痛手 / 「トランプ、底知れぬゲスさ」 米大衆紙が社説で猛烈批判











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《総理の一日》本日(12月13日)安倍総理は官邸で女性が輝く先進企業表彰式に出席しました。— 首相官邸 / 表彰されてるのはオッサンでした!


広島高裁、伊方原発3号機の運転差し止め 1月再稼働は困難に(ニューズウィーク日本版) / 「火山国」の原発、是非問う判決 伊方原発差し止め:朝日新聞デジタル / 報道ステーション(12/13)











関連過去記事
【時代遅れ】 「原発の新増設も選択肢」 経団連の榊原会長、伊方視察:朝日新聞 ; 榊原氏は「(四国電力は)福島の原発事故を教訓に万全の対応をとっているようだ。しっかり安全を確保してほしい」と感想を述べた



【“米国製”急増で膨らむ予算】 「日本が来年度に購入に向けて予算に計上しようとしている防衛装備品。アメリカから購入することが急増することにより日本の防衛費が過去最大に膨れ上がろうとしている。(来年度 防衛予算 要求額は過去最大となる5兆2551億円)」 / 後藤 氏「非常に違和感を覚えているのは“敵地攻撃能力”。小野寺さん自身は“敵地反撃能力”という表現を使っているが検討を始めた自民党の安全保障調査会の座長だった小野寺さんが防衛大臣になりそれを具体化する巡航ミサイルの購入を決めた間に全く議論がなされていない。」







2017年12月13日水曜日

皇居東御苑でウメ(紅冬至、八重野梅)が咲き始めた 2017-12-13

12月13日、はれ。
皇居東御苑でウメ(紅冬至、八重野梅)が咲き始めた。
(写真の上2枚が紅冬至、3つ目が八重野梅)
紅冬至の方は当時の頃に咲くのでそういう命名になったのだろう。
今年の冬至は12月22日とのことだ。

そうこうするうち、年末か年初にはロウバイが、追うようにしてカンザクラやカワヅザクラが咲いてくるんだね。




サーロー節子さん 2017年ノーベル平和賞記念講演スピーチ全文(YouTube 日本語訳); 「核の傘なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい…あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。」


Nobel Peace Prize Award ceremony 2017. Norway, Oslo.
10 December 2017. Nobel Peace Prize Ceremony
1:04:10からサーロー節子さんのスピーチ
















忖度による服従はするな(日刊スポーツ 政界地獄耳);「ファシストは日々の暮らしのささやかな『真実』を軽蔑し、新しい宗教のような『スローガン』を愛し、歴史やジャーナリズムよりも、作られた『神話』を好んだ。事実を放棄するのは、『自由』を放棄するのと同じだ」


 ★そろそろ今年の政治を振り返る時期になってきたが、今年はさまざまな政治的事象が起きた。ただそれは政治的というより政局的事象で、政治の動きとしては大きなうねりの中にある過渡期といえる。慶応大学出版会が出したイエール大教授ティモシー・スナイダー著、池田年穂訳、「暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン」が端的に指摘する。

 ★本書は冒頭から「忖度(そんたく)による服従はするな」と説く。「権威主義が持つ権力のほとんどは、労せずして与えられるもの。個人はあらかじめ、より抑圧的になるだろう政府が何を望むようになるかを忖度し、頼まれもしないのに身をささげるもの。このように適応しようとする市民は権力に対して、権力にどんなことが可能かを教えてしまう」。...(略)

 ★ほかにも「1党独裁に気をつけよ」「職業倫理を忘れるな」「自分の言葉を大切に」「真実があるのを信じよ」「自分で調べよ」「危険な言葉に耳をそばだてよ」「勇気をふりしぼれ」などが、20の教訓として記される。「ファシストは日々の暮らしのささやかな『真実』を軽蔑し、新しい宗教のような『スローガン』を愛し、歴史やジャーナリズムよりも、作られた『神話』を好んだ。事実を放棄するのは、『自由』を放棄するのと同じだ」。20世紀の教訓は、現代日本政治に当てはまる。(K)※敬称略


池上彰氏がTVで「自民党議員の失言の後には北朝鮮はミサイルを撃つ」と堂々と発言。ネトウヨ界隈が大騒ぎにに!!.....




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2017年12月12日火曜日

参院農水委(12/12)。森ゆうこ「議事録がない。記憶がない。今年はオンパレード!議事要旨は改竄」 「お友達の為に、行政を捻じ曲げた! これだけ動かぬ証拠を全部突きつけているのに まだ認めないんですか?x2 どこに一点の曇りもないんですか? 真っ黒じゃないですか 総理のお友達 アベ友事件なんですよ 国家の私物化って言うのよ 独裁って言うんですよ!」



2017年12月11日月曜日

北の丸公園 行く秋の名残を惜しむ 土に還るモミジ 最後の光彩を放つイチョウ 2017-12-11

12月11日、はれ
北の丸公園
ほんの少しだけ色鮮やかなモミジが残っているが大半は土に還ろうとしている。
秋が行く、そんな感じかな。
雑木林では最後のイチョウが光彩を放っている。
秋の名残を惜しむ、そんな感じかな。










2017年12月10日日曜日

十二月のうた  (茨木のり子 花神ブックスⅠ『茨木のり子』(花神社 1985年5月)59歳)


十二月のうた  茨木のり子

熊はもう眠りました
栗鼠もうつらうつら
土も樹木も
大きな休息に入りました

ふっと
思い出したように
声のない 子守唄
それは粉雪 ぼたん雪

師も走る
などと言って
人間だけが息つくひまなく
動きまわり

忙しさとひきかえに
大切なものを
ぽとぽとと 落してゆきます

花神ブックスⅠ『茨木のり子』(花神社 1985年5月)
(詩人59歳)

関連過去記事
詩人茨木のり子の年譜(9) 1982(昭和57)56歳 第六詩集『寸志』 1983年 『現代の詩人7 茨木のり子』 ~ 1986(昭61)60歳 『ハングルへの旅』(朝日新聞社) ~ 1989(平1)63歳






『大航海時代の日本人奴隷 アジア・新大陸・ヨーロッパ』を読む(3) 序章 交差するディアスポラ - 日本人奴隷と改宗ユダヤ人商人の物語(3)

北の丸公園
*
1592-1597
マニラは1582年以来、ポルトガル商人(とくにマカオのポルトガル商人)が頻繁に訪れる港となっていた。それは、セバスティアン・ジョルジという有力な商人が、フィリピン総督ドン・ディエゴ・デ・ロンキージョに対し、マカオ~マニラ間の商船の毎年の通商を交渉し、許可を得たことに始まる。
この二つの港町には、取引に携わるポルトガル人とスペイン人が数多く滞在していたため、ルイ・ペレスの隠された素性はいつでも暴かれる危険性があった。
しかし、ペレスはマニラでは比較的安全に1592年~97年の5年間を過ごした。ルイ・ペレスの息子たちは長崎と同じように自分たちの名前を変えていた。

1595年
1595年、長男フランシスコ/アントニオ・ロドリゲスは商売を拡大するため、父と弟をマニラに残してヌエバ・エスパーニャ(新大陸メキシコ)へ旅立ち、そこで仲介業者として働き始めた。

日本人召使いのミゲル・ジェロニモとヴェントゥーラ
ルイ・ペレスはマニラで、ベンガル人奴隷と日本人召使いガスパールに加えて、日本人召使い2人と朝鮮人奴隷1人を入手した。

日本人のうちの1人はミゲル・ジェロニモと名乗った。彼は1577年に生まれ、商人フランシスコ・マルテス(フランシスコ・マルティンス)からルイ・ペレスに対し、5年契約、40レアルで売られたという。もう1人の日本人召使いは、ヴェントゥーラという名前であった。この2人は、ガスパール・フェルナンデスとベンガル人パウロと共にルイ・ペレスの最期を看取ることになる。

朝鮮人の召使いは、ガスパールという名前で、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、日本人の兵士たちに捕らえられ、長崎に連行され、そこからマニラへ送られたものだった。

これら日本人召使い2人と朝鮮人奴隷は、家事全般を担い、朝鮮人奴隷はルイ・ぺレスが偽物の聖遺物を売るのを手伝っていた。ぺレスは長崎に来る以前に沢山の十字架を集め、それらを砕き、骨の破片と一緒に詰めて持ってきていた。殉教者の遺骨であるとして、本物の聖遺物と見せかけて、マニラに住む日本人キリシタンにその壊れた十字架を売っていた。これらの遺骨は二六聖人のものとして取引されたと思われる。

1596年9月9日
ペレス一家の生活は、1596年9月9日の最初の告発によって崩れ始めた。

ドミニコ会士のディエゴ・デ・カスタ一ニェーダが「ロザリオのコンフラリア(信心会)の楽隊員で、奴隷のフランシスコが、インド、マラッカ、マカオからこの町に逃亡してきたユダヤ人がいると私に伝えにきた」と、異端審問所代表フアン・マルドナード(ドミニコ会士)に告発した。

同年10月21日、スンダ列島(スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、スラウェシ島、バリ島、ロンボク島、スンバワ島、フローレス島、ティモール島など)出身のその奴隷フランシスコがサン・ガブリエル病院に現れ、ルイ・ペレスに関する証言をおこなった。彼は、「あるポルトガル人が、(禁令に反して)フィリピンからモルッカにかけて航海したと聞いた」、「カンパヤ(グジャラート)出身のイノセンシオという奴隷が、その人物が両系の祖父母共にユダヤ教徒であるクアトロ・クスタード(生粋のユダヤ人子孫であることを示す隠語)で、マニラの執政官の家にいると自分に告げてきた」と証言した。奴隷イノセンシオは、その人物はベンガル人と日本人の奴隷2人を所有していると告げた。

2人目の証言者は、インドのグジャラート出身で、自由民となっていた元奴隷ロベルト・ロドリゲスである。彼は、長年日本に住んでいた。彼の証言の大半は、ペレスが所有するベンガル人奴隷パウロと交わした会話に基づいていた。料理人であったこのベンガル人奴隷は主人ペレスの食習慣、長崎滞在中の一家に関する噂、マニラへの逃亡について詳細に話した。罪状の数を増やすため、4年前、ルイ・ペレスが十字架の前を通る際に帽子を取らなかったことが無礼であるとして、長崎で大騒ぎになったという逸話も暴露した。

この話は、日本人奴隷トメの証言からも確認できる。トメは、「ぺレスの息子のアントニオ・ロドリゲスが家で聖母マリアと聖人の像を壊し、9年間、日本でもフィリピンでも教会に通っていなかった、という話をペレス家の日本人奴隷から聞いた」と証言している。

商人の中には、ペレス一家を告発しようと、自分の奴隷を異端審問所の役人のところへ送りつける者もいた。彼らの証言から、ペレス一家の暮らしの詳細が判明する。
まず、バターと豚肉を食べないこと、月曜日、水曜日、金曜日には、洗濯した清潔な服を着ていること、土曜日には足を洗うこと、家には聖人像が一つもないこと、ドアを閉めて食事をすること、日本ではユダヤ教の儀礼に従って雌の子牛を殺していたこと、などの申し立てがおこなわれた。

マニラの異端審問所はこれらの告発と、目撃者たちの証言を照合して、決定的裏付けを得るためペレス家で働く日本人ガスパール・フェルナンデス、ベンガル人パウロ、朝鮮人ガスパールから証言を採ることにした。

最初の証言者は日本人ガスパール・フェルナンデス
自分の発言がどのような結果をもたらすかを知らないガスパールは、ペレスは豚肉を食べず、次男のマヌエル・フェルナンデスは豚肉を食べるとすぐに吐き戻したことを述べた。他に、召使いがニワトリを殺す際は、首を切断するのではなく溺死させなければいけなかったこと、教会当局からの許可の下、ぺレスが四旬節と毎週土曜日に肉を食べていたことを認めた。次男のマヌエルは金曜日、土曜日、四旬節には決して肉を食べなかったこと、毎週土曜日、ペレスと息子たちは洗濯をした服を着ていたこと、十字架、キリスト、聖母マリア、聖人の像は持っていなかったこと、ぺレスは祝日と土曜日に、教会内でのみ新穂を捧げたことなどを証言した。

2目の証言者はベンガル人パウロ(30歳)
彼はぺレスの終身奴隷で、ルイ・ペレスのことをコチン時代から知っていた。彼の証言は日本人ガスパール・フェルナンデスのものとは大きく異なっていた。パウロは、食事用のニワトリを溺死とは異なる方法で殺していたこと、ルイ・ペレスも息子たちも豚肉と少量のバターは食べていたこと、家には聖母像があり、ユダヤ教の儀礼は一切実践されていなかったこと、日曜日と祝日には教会でミサにあずかっていたことなどを証言した。異端審問所での秘密は厳守し、証言内容を後で話さないと誓ったにもかかわらず、パウロは家に戻るやいなや、3時間にわたって主人に対し、受けた質問の内容を詳しく話した。ルイ・ペレスは悲嘆に暮れ、動揺し、目を赤くして泣いた。パウロは主人に対して誠実な下僕であった。

3人目の証言者は朝鮮人ガスパール(18歳)
彼は、ペレスに審理内容を話したとして、仲間のベンガル人パウロを糾弾してその命を危険にさらした。彼は、主人は部屋には聖人像を置いていなかった、最近それらを購入し、毛布に包み、ベッドの下に置いていると証言した。

これら3つの証言、とりわけ日本人ガスパール・フェルナンデスと朝鮮人ガスパール・コレイアの証言は、異端審問所にとってぺレス一家が隠れてユダヤ教を実践していたことの確証に必要な証拠となった。

1597年6月11日
1597年6月11日、異端審問所の官吏イシドロ・サンチェスは、フアン・ルイス、アロンソ・エルナンデス、フアン・ルカスらと共にペレスの家を訪れ、ぺレスを逮捕した。ぺレスは刑務所へ送られ、イシドロ・サンチェスは彼の全財産を没収した。

1597年11月29日
1597年(日付不詳)、ルイ・ペレス、日本人奴隷3人とベンガル人奴隷1人を乗せたガレオン船ヌエストラ・セニョーラ・デル・ロザリオ号が、ぺドロ・セディル・デ・グアルカ船長の指揮の下、アカプルコへ向けて出発した。

異端審問所はぺレスに対して有罪判決を下したが、ガレオン船がアカプルコ港に入る2日前に彼は船上で病没した。遺体は1597年11月29日のシャバトの日(安息日)に、海中へ遺棄されたと推察される。

(つづく)





「君たちはどう生きるか」がヒットした必然 第3回、スージー鈴木「月間エンタメ大賞」(東洋経済オンライン); キーワードは「教養のポップ化」「ノスタルジー読書」「人生を変える読書体験を我が子に」


世界の首脳らがトランプ氏を非難、エルサレムのイスラエル首都認定で(ブルームバーグ) / 日本は? 「発表内容や具体的な対応について精査、分析を行ってる」 「当事者間で解決する問題」 / NHKは? エルサレム首都承認について、各国がアメリカの対応を批判と報道する中で、日本政府の態度について報じない。そもそも取り上げない。  




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北の漂着船。石丸次郎「先日の国会で『バイオテロを狙ってるんじゃないか、天然痘を持った人を乗せてるんじゃないか』と、とんでもない発言をしたアホな国会議員がおりましたけど、北朝鮮が日本に病原菌を持った人を送りつける動機も理由もない。冷静に考えたら漂流民以外の何者でもない」 / この「アホな国会議員」はコイツ ↓



▼アホな国会議員
(自分が信用している人物から言われたので、これは間違いない)




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▼これがテロとかスパイとかなのか?


2017年12月9日土曜日

三浦半島から見る日の出 朝日を浴びた富士山 早咲きのカワヅザクラ 2017-12-09

12月8、9日
もう10年になるんだ。
元同僚が亡くなって、その墓参会を年2回開催している。
10年も続けてると、故人には申し訳ないが、墓参の後の食事会が今や懇親会・親睦会、特に年末の会は忘年会みたいになってしまっている。
で、今年は初めて一泊の行事となった。
場所は価格的にもお手軽な三浦半島先端にあるホテル(京急三浦海岸駅近く)。

今日(12/9)は朝6時40分前後に日の出を見ることができた。
また、玄関側からは朝日を浴びた富士山が見えた(暫くして雲に隠れたが)。

ホテルの前にはカワヅザクラが咲いていた。
今年は異常に開花が早いそうだ。
メジロを見つけたが、写真はうまく撮れなかった。

▼東京湾を挟んで対岸、千葉の鋸山周辺に陽が上って来る







フジテレビが赤字転落、もはや不動産会社がテレビ局を経営している状態(Business Journal); 収益構造で見る限り、「デベロッパーがテレビ局を経営している」というのが実態だ。


参院・文科内閣連合審査会(12/7)。森ゆう子議員「今治市、秋山課長が補足の説明してる所がない。議事要旨の何ページの何行目に今治市が説明してるか教えろ」 内閣府「資料の提出をもって説明されたと理解しております」 メチャクチャな答弁で速記が止まる。


参院・文科内閣連合審査会(12/7)。杉尾秀哉議員『(加計学園の)判断のプロセス、結論も議事要旨にも、どこにも専門家の意見が出てないんですよ。こんなデタラメまかり通っていいんですか』


加計学園は韓国で、今年2月に学生に説明会、3月から募集。設置審に申請する前。 文科省「想定外の事なのでペナルティは特に無い」 白議員「認可や届出前にPRや学生募集が判明した場合、審査の中止や認可を不可にすると書いてある」 文科省「説明が充分では~」 全体的に文科省は加計の弁護人に終始。    


参院内閣委(12/7)。山本太郎議員『2016年、安倍晋三後援会・朝食会と題した政治資金パーティをANAホテルで3回開催して、6829万円も集金。総理大臣が大臣規範を率先して守らない。守らないのは憲法だけではないんですね』


トランプの精神的崩壊(Trump’s mental meltdown)ワシントンポスト ; 「エルサレム」関連の重大発表の最中に同氏がろれつが回らなくなった事で再び大統領の精神的適性への懸念が敵味方を問わず噴き出した。ホワイハウス関係者によると「大統領は精神的に崩れ始めている」 / ホワイトハウス周辺では「トランプは病気だ」という診断に与する人が増えているとの報道です。上院外交委員会議長は「大統領の奇矯な行動は米国を第三次世界大戦への道に押しやりつつある」という懸念を表明した。ワシントンポストの記事です。日本のメディアはこれを無視しています。— 内田樹




2017年12月8日金曜日

ジョン・レノンの命日に「イマジン」を歌うデヴィッド・ボウイ、1983年12月8日 / この国の憲法第9条 は まるでジョンレノン の考え方みたいじゃないか? (忌野清志郎)





関連過去記事
忌野清志郎『瀕死の双六問屋』を読む(その8終) 「日本国憲法第9条に関して人々はもっと興味を持つべきだ」