2017年8月9日水曜日

明治39年(1906)9月11日~30日 東京の3社統合し東京鉄道株式会社設立 漱石の岳父中根重一病没 大杉栄(21)の日本エスペラント協会活動 

鎌倉 妙本寺
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明治39年(1906)
9月11日
・東京電気鉄道・東京市街鉄道・東京電車鉄道合併。東京鉄道株式会社設立。3社統合し交通会社の独占会社となる。資本金2,700万円。東京市電(明治44年8月)の前身。電車賃を3銭均一から4銭均一に値上げ。
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9月11日
・インドのマハートマ・ガンディー、南アフリカで非暴力的抵抗運動を初めて組織。
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9月13日
・東京電力株式会社創立。
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9月13日
・漱石の岳父(妻境子の父、元貴族院書記官長、56歳)中根重一、病没。
中根重一は官職を退いてから事業に手を出して失敗を重ね、しばしば女婿漱石の援助を受けた。漱石の身辺には、元の養父塩原昌之助やその別れた妻のやすをはじめ、そういう関係の人間が多く、まともにつき合っていると大変煩雑だったので、漱石は妻と相談して、親戚附合は一切不義理をするという原則を作って、その上で可能なことだけをしてやった。
中根重一は不遇を生活が長く続いた結果、安田保善社に勤めて少しばかりの月給を得て生活を支えていたが、その子供の学資などは夏目家から出ていた。いま重一が死んでみると葬式を出す金もなかった。嫁いだ娘たちや古い友人達が金を出し合うことになり、漱石もその金を出した。そして彼はその死亡広告にも名を連ねた。しかし彼は、その葬式には出ないと言い出して、どうしても妻の頼みを聞き入れなかった。彼は遺族にあてて長文の慰めの手紙を書いた。そういうとき、何が彼をそのように頑固にさせるのか、はたから考えて分らないところがあった。彼は岳父の葬式に出ないで学校の講義に出ていると人に言あれるのを気にして、葬式の当日は大学の講義も休んで家でじっとしていた。
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9月18日
・中国の浙江諸県で飢民暴動発生。
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9月18日
・富士瓦斯紡績株式会社設立。
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9月19日
・石垣綾子、誕生。東京市谷加賀町。父は陸軍幼年学校教師。物理の受験参考書はベストセラー。大正6、府立第1高女入学。
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9月22日
・ジョージア州アトランタで、大規模な反黒人暴動。黒人18人含む21人死亡。
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9月25日
・旅順鎮守府条例公布(勅)。
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9月25日
・ペテルブルク、ディミトリー・ディミトリエヴィチ・ショスターコーヴィッチ、誕生。
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9月26日
・日米追加犯罪人引渡条約公布。
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9月26日
・米、キューバに軍事干渉。
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9月28日
・四平街覚書(日露撤兵手続き及び鉄道引き渡し順序議定書)廃止。北満州の全地方への日本人の旅行自由に。
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9月28日
・大杉栄(21)、日本エスペラント協会第1回大会(神田青年会館)で「桃太郎」の話をエスペラントでやり、喝采を博す。
この月、堀保子と結婚。
「大杉が、黒板勝美、千布利雄らとともに日本エスペラント協会を設立(註、6月12日)し、神田の青年会館で開かれた第一回大会の席上で『桃太郎』の話をエスペラントでやり、喝采を博したのは、その年九月二十八日のことである。彼はまた、九月十七日に、本郷区壱岐坂下の習性小学校で、日本最初のエスペラント学校を開いた。生徒は四十五名。十二月六日、神田の国民英学校で行われた第一回卒業式には、黒板勝美や加藤高明が来賓として出席、大杉はやはりエスペラントで「卒業生諸君に告ぐ」という訓辞をしている。この学校は夜学で、大杉が翌一九〇七年五月巣鴨監獄に入獄するまで続いた。彼の日本芸ベラソト協会番号は二百一号である。なお、この学校には数人の中国人留学生も入っており、彼らは大杉のことを”ダーサン先生”と呼んでいた。彼らは、東京で中国語の社会主義雑誌『衡報』を発行していた呉稚暉、張継、景梅九らの仲間であった。」(大沢正雄「大杉栄研究」)。
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9月28日
・新渡戸稲造、第一高等学校長に就任。
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9月28日
・パルマ・キューバ大統領辞任。政権は空白状態となり、米陸軍長官ウィリアム・タフトが臨時総督となって反乱軍と政府軍間の調停を試みる。
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9月29日
・イタリアのミラノで労働総同盟結成大会(~10.1)。
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9月30日
・第1回国際熱気球競技会開催(パリ)。
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